はじめまして!
あなたが輝くインスタ作りのサポートをしています。
インスタの寺子屋女将こと竹網あやです。
▶︎インスタ未経験から半年でフォロワー9000人超え!現在はフォロワー1.1万人超え!!!
▶︎PR案件依頼70件以上
▶︎インスタ講座リピート率70%
元看護師、広島のド田舎住まいでもできたインスタのノウハウを伝えています。
あなたは、インスタで叶えたい何かがありますか
わたしは、あります。
それは、インスタを通して「日本のママに雇用を生むこと」
なぜ、そう考えているのか。なぜ、日本のママにこだわるのか。
自己紹介を交えつつ、お話ししていこうと思います。
大人の空気を読むこども時代
1980年7月 梅雨があける少し前に、広島県で生まれる。
海水浴に来てるのに不機嫌そうw
当時、両親はなかなかこどもに恵まれず、諦めた矢先に母が身ごもり生まれたのが、わたしでした。
そんな理由からひとりっ子として育ちましたが、そうみられるのが嫌で常に、ひとりっ子にみられないように振舞っていました。
最高の褒め言葉は「ひとりっ子に見えな〜い!!」
しっかりしていることが、人生の全てだったわたしは、大人の空気を読むことに長けていたため、ワンオペ育児だった母は、常にわたしを 大人同士の集まりやお茶に連れて行ってくれました。大人同士の集まりにいることは、自分が認められたような気がして嬉しかったですが、逆に聞きたくない話しも 自然と耳に入ることがありました。
そこでの話しは、後のわたしの価値観に少なからず影響を与えています。
しっかり者の片鱗が見えませんか?w
居心地の悪い学校
そういう訳で、客観的思考のこどもだったわたしには、同じ意見しか認められない学校や、常に一緒であることが正義とされる女子の集団は、とても居心地が悪かったです。
「井の中の蛙 大海を知らずとは、お前(学校)のことだー!!!」と何度思ったことか。
行動力の鬼〜高校卒業から大人へ〜
その反動なのか高校卒業後は、関西へ上京する人が多い中、ひとり東京へ。
都内の某有名大学病院に就職して、手術室看護師として働き始めます。
学生時代の抑圧への反発なのか、幼いながらに慎重派だった反動なのか、この頃から思いついたら即、行動の現在のわたしへと進化していきます。
パン屋に行くために、イタリアへ行く
当時のわたしは、パンにはまっていて、ふたつの社会人パンサークルを掛け持ちしていました。
「ここのパン屋の発酵種は〇〇らしい」と聞きつけると飛んで行き、「ここのパン屋は〇〇産の〇〇小麦だ」と小耳にはさむと 例えそこが、異国の地イタリアでも行くことを躊躇いませんでした。
ナポリやシチリア、フィレンツェ、ローマの郊外へ行きました
近くの他人より、遠くの家族
そんな抜群の行動力で東京暮らしをエンジョイしていたわたしですが、とても寂しがり屋の面を持っており、家族が近くにいないことが、寂しくて寂しくて・・。
ここでも持ち前の行動力を発揮し、ぱぱっと看護師を辞め、広島へ帰郷しました。
その後は、カフェで働いたり、産婦人科の厨房でマクロビメニューのお料理を作ったりしていましたが、当時流行ったドラマ「医龍」を見てまた手術室へ戻りたくなり、手術室看護師に戻りました。
職場は高速バスで一時間
戻りたくて戻った医療現場でしたが、医療業界という組織の中で 大切なものが、蔑ろにされていることに疑問を感じ、徐々に転職を考えるようになりました。
もともとオペ室を希望した理由のひとつに「辛くないから」というものがありました。
それは、患者さん一人一人と接する病棟看護師とは違い、手術室看護師は、麻酔で寝ている患者さんと接するため、個人個人へ気持ちが入ってしまうことが、格段に少ない。
医療現場では、見たくない部分も見えてしまいます。病棟では、患者さんに情が入ってしまうので、 わたしとしては、そこを回避したかったんです。
大きなきっかけは、西日本豪雨災害
オペ室でも患者さんに対する病院側の対応に疑問を感じ、辞めることを考え始めていたわたしですが、決定的な出来事がありました。
それが、平成30年に起った西日本豪雨災害です。
死者数が200人を超えるというとても信じられない状況下で、幸いにもわたし自身に大きな被害はありませんでしたが、こどもが通っていた保育園の裏山が、豪雨で崩れかけたり、JR線が長期断線したりと日常が、恐怖と不安に飲み込まれていました。
道路の側溝から水が溢れる中、車で帰宅
怖かったです・・
こどもの近くに居たい!!!
同僚のひとりに、小さなこどもがいて災害の酷かった地域から通っているママがいました。
その地域は、とても甚大な被害に見舞われ、小学校も学童も閉鎖。
同僚はというとJR線の運休が影響して、毎日片道三時間かけて車を走らせ、通勤していました。
わたしは何度も師長に掛け合い、彼女の分はわたしがやるから休ませて欲しい!と伝えましたが、取り入ってもらえず、跳ね返されてしまいました。
それはまるで「私たちはただの駒」だからと言われたようで怖くなりました。
実際に師長は「私はただの駒だから」が口癖だったからです。
そんな未来のない働き方をするのも嫌でしたし、何よりもこどものそばに居たい!
災害時に不安な気持ちのこども達を残してひとり、働きに出て行きたくない!と強く思いました。
病院を辞め、インスタグラムとの出逢い
病院を辞めてからは「何かあった時には、こどものそばに居たい」という思いから、自宅に居ながらできることをやろう!とメルカリを使った物販を開始しました。
が・・全く売れず。
在庫の山を抱えることになります。
妊娠8ヶ月なのに今より痩せてるww
新型コロナウイルス(COVID‑19)に行く手を阻まれる
日本にも新型コロナウイルスの波が、押し寄せていたのです。
わたしが扱っていた商品が、花嫁さんが使うコサージュや水着など。どれもコロナ渦では、自粛するようにお達しが出ていることに関する物ばかり。
インスタグラムの講座で わたしの世界が、一変
そんな時に受講していたインスタグラムの講座で わたしの世界が、一変します!
初心者でインスタを始めてから、たった半年でフォロワーが9000人を超え、70件以上のPR案件の依頼が舞い込んでくるようになったのです。
それまでSNSなんてしたことなかった!!
本当にわたしが、叶えたいこと
インスタどころかSNS全般 初心者だったわたしが、今では、企業向けにインスタのディレクションや研修を行ったり、個人の方向けのコンサルを行っています。
自宅に居ながら仕事をしたい、こどものそばに居たい、そんな希望を叶え、家族も自分も幸せにしている。
そんなわたしのことが、皆さんには全てを叶えたように映るかもしれません。
一番叶えたいことは「日本のママに雇用を生む
でも、わたしが一番叶えたいことは「日本のママに雇用を生む」ことなんです。
どうして、ママなのか?なぜ、日本のママに拘るのか?
それは、日本のママは昔ながらの「ママはこうあるべき」の呪縛に、ママ達の気持ちとは裏腹にかかってしまっているから。
自分のことは後回し、家族優先、こども優先は、当たり前。
相談したり弱音を吐いても「母親なんだから当然でしょ」が返ってくる。
そんな特殊な環境で生きてきた日本のママ達に「自分のために生きて欲しい」のです。
副業ほどガッツリじゃなくていい、今の生活にほんの少し変化が欲しい。
そんな気持ちの時にインスタを通して、こんな世界があるんだ!わたしのできることは、家事や育児だけじゃないんだ!と感じて欲しい、少しでも外の空気に触れられる環境をつくりたい。
そんな思いでわたしは、この仕事に全力を注いでいます。
自己投資しろ、こどもを言い訳にするな、は鋭いナイフ
わたしは、自分自身を変えたくて願いや想いを叶えたくて、色々な講座やセミナーを受けたり、自己投資をしてきました。
そんな中でよく言われているのが「自己投資」「こどもを言い訳にしない」「動く」
わたしは、幸いにも行動力に恵まれ、家族にも恵まれていたため、自己投資も行動も可能でした。しかし、人間それぞれ違うように家庭の事情も環境もさまざまです。
ママが、家事育児をするのが当たり前の日本では、自己投資と言われてもそんな余裕がないのが現実・・。
そんな現実を目の当たりにした時「自己投資しろ、こどもを言い訳にするな」とバッサリと斬り捨てるビジネスの当たり前が、わたしにはどうしても腑に落ちなかったんです。
自己投資が難しいなら、日常の中に異世界を取り入れられるようなサポートがしたい。
そんな想いでこれからも フワりと突き進んでいこうと思います!!!
竹網あやプロフィール
広島県出身、広島県在住
4年間の交際ののち夫と結婚/3歳と7歳の女の子ママ
職歴:14年間オペ室看護師として病院勤務。歴代の新人さん指導が「わかりやすい、丁寧」と評判でした♪ 看護師以外にもカフェや病院の厨房で働いた経験あり。
現在は、オンラインにてインスタ講師、インスタの運用代行、インスタのコンサルなど。
性格:自他共に認める「行動力の鬼」、ちょっとせっかち、意外と騙されやすい
周りからの印象:愛ある行動の持ち主、しっかり者
得意なこと:人と人をつなげること
好きな食べ物:サーモンのお刺身、煮キャベツ、お刺身のつま
好きな場所:飛行場、高いところ
好きな芸能人:IKKOさん、サンドウィッチマン(どちらも毒があるけど、熱い心の持ち主♡)